【Blog】『毒親』と『毒沼』と『解毒』

前回に引き続き今回のテーマも【親子関係】です。

●毒になる親
1989年にスーザン・フォワードが作った『毒になる親』の概念は、子供に悪影響及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を意味し、アダルトチルドレンと言う言葉と共に2015年頃には日本でもかなり認識が広がりました。

人間関係につまずき、生き辛さを抱えるクライアントにカウンセリングを行っていると、親子間の問題に行き着く事は非常に多いです。

子どもの登校拒否に悩む母親のカウンセリングから紐解いて行った際に、実は夫婦間の問題から母親を守るために、子どもが『学校に行かない事を選択している』場合もあり、更に紐解くと夫の幼少期の親子関係が影響していたと言うこともしばしば見られます。

親の与える愛情が成績などの『条件に基づいた』愛情であったりネグレクトで育った子どもが過干渉の親になってしまったりと、背景は様々です。

いずれにしても『何らかの形で子どもを支配下に置こうとする親』が典型的な毒親とも言えます。

『親に過剰に適合しながら育った』ことが、アダルトチルドレンとされるクライアントの生き辛さの根幹にあると言っても過言ではありません。

●戦場で出逢った同胞
機能不全の家庭で育ったがゆえに生き辛さを感じている人は少なくありません。

同じような境遇で育った人に出逢うことは『自分以外にも同じ苦しみを持つ仲間に出逢えた』と、まるで『戦火から逃げ惑う中で出逢った同胞』と一時的な安堵感をもたらします。

●毒沼の居心地
さて、同胞と出逢った後、親と言う共通の加害者から逃げた被害者同士の相互理解により、居場所を見付けたと感じます。

ただそこは、泥パックにも似た心地よさを伴う毒沼である場合があります。

同胞がいる安堵感は、被害者で居続けると言う『毒沼』から抜け出すチャンスを逃し、いつまでも毒沼の中で親に対する呪詛を唱え続ける事になります。

『毒沼に居続ける限り親の毒から逃れられない』と気付き、毒沼から出ようとする者、毒沼から出た者、精神的に親と和解した者を『裏切者』と敵視して扱うこともしばしば起こります。

これは当事者会の難しさにも通じますが『自分が誰よりも被害者である』と言う歪んだ承認欲求によるものです。

●解毒の痛み
いざ毒沼から這い出したものの、長い年月を掛けて染み込んだ毒を排出するのは、困難を極めます。

『親に愛されたかった』『親に甘えたかった』という無意識化に抑圧していた感情が表面化してきた時、また、その感情を認める事は、困難を極め、時に耐え難い苦痛をもたらします。

●第三者の無責任なアドバイス
よく耳にするのは
『過去の事だから許してあげなさい』
『親は親で大変だったんだよ』
『育てて貰ったんだから感謝をしなさい』と言う言葉です。

これらの言葉はやがて『親を許す事が出来ない自分』に対して『自分自身が自分自身を責める』と言う新たな苦しみをもたらします。

●許せない自分を許す
結論から言えば『親を許せないでいる自分を許す』のが一番の早道といえます。

『今は許せないかも知れないけど、無理に許さなくてもいいんじゃない?』
『許してもいいかな?と思えるようになってから許せばいいよ』と誰よりも身近な自分自信を許す事で『許す練習』を重ねて初めて他者を許すことが出来るのです。

少なくともカウンセラーは、クライアントの持つ本来の自然治癒力・自己回復力・心の成長を信じています。

今は『毒沼』に心地よく浸かっている人も、いずれは沼から出て来たくなる日が来ると見守っています。

誰が何と言おうと、私はあなたを信じています。

1人でどうにも出来ない時こそ、カウンセラーを利用して、使い倒して良いのではないでしょうか?

●親子間でのコミュニケーションでお悩みの方は、是非一度ご相談ください。

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【Blog】親子関係で悩んでいる方へ

今回のテーマは【親子関係】

『全くうちの親ときたら何も判ってくれない!』
『うちの子どもはどうしてこうなんだろう?』と、一番身近な存在である分、親子関係は人間関係の中でも難しい部類に入ります。そんな私も親子関係ではかなり悩んだ口です。何かあれば殴る蹴るの父親。母親は障害を持って生まれた弟の出産を期に、統合失調症を患いました。

そんな機能不全の家庭の中で、ほぼほぼネグレクト状態で育った私は、子どもながらに『私さえ我慢すれば良いんだ』と『なんとか家族を繋ぎ止めなければならない』と必死でした。

●連鎖する行き辛さ
まず事の始まりは母方の祖母。
2歳で曾祖母を亡くし16歳で嫁に行き、戦中・戦後は必死になって6人の子を育て、甘える事を知らずに生きた人。

母は6人兄弟の3番目の次女と言う、微妙なポジション。
下に3人の弟・妹がいて、甘えたくても甘えられずに育った人。

父親は6人兄弟の末っ子四男坊で、割りと裕福にワガママいっぱいに育った人。

見合いとは言え、良くそんな2人が結婚する気になったものだと思います(笑)

小学生低学年のある日、母に言われた衝撃的な言葉。
『裕子ちゃんがお腹にいた時は、栄養をつけるのに、お父さんと二人ですき焼で牛肉を食べたり、柳川鍋でドジョウを食べたりしたけれど、マー君(弟)がお腹にいた時は裕子ちゃんに手が掛かってチャーハンばかりだったから、あんな風に生まれて来ちゃったのよね』

『そうか、私のせいで弟は障害を持って生まれる事になったのか・・・』と『生まれてきてごめんなさい』と感じました。

障害を持ったお子さんを生んだお母さん方は『私の何が悪かったのだろう?』とご自身を責めがちですが、うちの母ときたら、娘の私を原因にしたためか、統合失調症も比較的軽くて済んでいました。

しかし、少しでも母親に甘えようとしようものなら『私だっておばあちゃんに甘えられなかった!』と断固拒否。

父は怖すぎて、甘えるなどもっての他。

結果として私は『この連鎖は私で止めよう』と子どもを持たないと言う選択をしました。

結婚した時は『これで家からやっと出られる』

母が亡くなった時は
『これでもう、惨めな思いをせずに済む』

父が亡くなった時には
『これでやっと解放された』と思った親不孝者です。

僅かばかりのお金と『行き辛さ』と言う大きな負の遺産を抱え、自分の存在価値も、存在意義も見いだせぬまま、仕事に逃げ、自分で自分を追い詰め、リミットを越えた日に自殺を謀るも失敗。

浦和カウンセリング研究所に逃げ込むように駆け込み、大関洋子先生に出逢い、長い時間を経て心を整理し、今は『私が、私として、私らしく、活き、生きている』と実感するに至りました。

カウンセラーから見た親子と言う関係
様々な親子関係と関わりを持って来た中で日々感じているのは、『親の望む子ども像と、実際の子どもは異なる』逆もまたしかりで『子どもの望む親像と実際の親は異なる』と言う事です。

せれぞれが別の人格を有するのだから、当たり前の話ではありますが『親子と言う余りにも近い距離』が故に、他人だったら許せる事でも、親子関係内だと許せない事も増え、気持ちのすれ違いが増えるのではないでしょうか?

●聴くと訊くから始めるコミュニケーション
親子だから判っているつもりでも、別人格を有する以上『話を聴く・判らない事は訊く』が相互理解の第一歩です。

●岩井裕子イチ推しの素敵な親子
漫才師キングコングの梶原雄太さんこと、YouTuberのカジサックさんのご家庭は、つい先だって5人目のお子さん波留ちゃんが生まれた大家族

梶原さんは当初、奥さまの未来子さんに徹底的に行動を報告させるモラハラに近い夫さんでしたが、ある番組をきっかけに自分の抱える『自信のなさ』や『不安感』に気付き、今ではとても素敵な夫さんに変貌を遂げました。

・ママが憧れるママさんの未来子さん

・優しく弟妹思いの優しい長男の冬詩くん

・しっかり者でがんばり屋さんの長女の叶渚ちゃん

・ひょうきんだけれども、泣いているお友達の前でギャグをやって笑わせてあげようとする優しい寅次郎くん

・元気いっぱいで、波留ちゃんがうまれてから、お姉さんになってきた千里ちゃん

・家族全員の愛情をたくさん受け取ってスクスク育っている波留ちゃん

カジサックさんの動画を見ると
『家族っていいな』と思えます。

チャンネル登録者200万人を越え、ますます多忙になりそうなカジサックさんですが、良好な夫婦・親子関係のヒントがたくさん隠されています。是非、一度ご覧になって頂きたいです。
【岩井の野望】☛いつか、カジサック家の皆さんとお会いしたいと切に願っております(笑)

親子間でのコミュニケーションでお悩みの方は、
是非一度ご相談ください。
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【活動報告】圧倒的な威圧感のクライアント

本日は母校である『浦和カウンセリング研究所』の臨床実習のクライアント役として参加。

写真の通り、威圧感バリバリの『ロックな婆ぁ』のクライアント。

愛しい後輩の皆さんが『仮に全身タトゥーのクライアントが来所しても、偏見を持たず、怯まずに傾聴できるか?』と言うテーマを設けてチョイスしたスタイル。←ひでぇ先輩だ(笑)

結果として『皆ナチュラルな姿勢で傾聴出来ていたのはさすが!』と言うのが素直な感想。

恩師である大関洋子先生を始めとした諸先生方のおかげで、今の私は『私が、私らしく、私を活かしながら、私自身として生きている』と日々実感しながら、このコロナ禍の中でも穏やかに過ごせている。

大抵の自己の悩みや感情は、自己解決出来るまでに至ったが『何かあれば教育分析を受けたら良い』と言う安心感がある事で、どんどんと新たなチャレンジも出来ている。

言わば、浦和カウンセリング研究所そのものが私に取っての『安全基地』として機能していると言う事。

自己解決も大事だけど『解決に至るまでのプロセスを共有する』のも必要だと気付いたのが本日の収穫。

洋子先生から受けた恩は大き過ぎて、とてもじゃないけど返しきれるモノではないが『自分自身を生きる事』が、最大の恩返しではないか?と感じております。

【Blog】毒な親

前回、過保護と過干渉について記載したが、 仮に子どもが走って転んだ場合にどうするか?

【毒でない親】

以下、子どもの成長具合に合わせてと言うのが前提となるが

①起こして抱きかかえて『痛かったねー』と『安心感』を与える。

②立ち上がるのを手伝って『頑張って立っちしたねー』と頑張りを『認める』

③子どもが自力で立ち上がるのを信じて待ちつつ、立ち上がった子どもに『一人で立てたね、すごい、すごい』と『褒める』

④泣かずに立ち上がった子どもに『泣かずに立って、強い、強い』と子どもの成長を『称賛する』

『健全な忍耐と我慢強さ』は①~④のプロセスを経て培われると言える。

【毒な親】

ネグレクト・・・明らかに捻挫をしていても『そのうち治るでしょ』と病院に連れていく事すらしない。

虐待・・・明らかに捻挫していて立ち上がれない状態の子どもに立って歩く事を強要する。

これらは『痛みを訴えても無駄だ(諦め)』『痛くても我慢しなければならない(不要な我慢)』『言う通りにしないと怒られる(恐怖)』と言う『不健全な忍耐と我慢強さ』を強いる事になり、その後遺症は大人になってから『人を信じてはならない』『無理をしてでも頑張らなければならない』と言った『生き辛さ』につながる。

もしあなたが今、必要以上に『頑張らなければならない』『耐えなければならない』と感じているなら、それは毒な親の影響かもしれない。

それは自然な反応だし、恥じる事ではないが、少しずつでも『親に対する怨み辛み』を吐き出した方が、今よりはるかに楽になる。

【Blog】過保護と過干渉

走りたいという子どもに対して

【過保護】安全に走れるように、体育館を貸し切りにして、転んでも良いようにドクターを控えさせておく。

【過干渉】走る事そのものを禁止する。

過保護と過干渉は混同されがちだが、大きな違いは『子どもの意思』と『親の意思』のどちらが優先されるかによる。

元プロ野球選手の高木豊氏のお子さんは3人ともJリーガーである。

サッカーをやりたいと言う子どもの意思を尊重し、高木氏は一からサッカーの勉強をされたと言う。

その話を知った時に感じたのは、プレイヤーとして一流な人は、人としても一流なんだと言うこと。

子どもの時にピアノを『習いたかったけど、習えなかった』親御さんは、子どもにピアノを習わせてあげたいと思うのは自然な気持ちだと思う。

最初の話に戻る

『サッカーをやりたい』と言う子どもに、高い講師を雇い、高いピアノを買い与え、無理やりピアノの練習をさせるのは【過保護】か【過干渉】か?

確かに、どちらも我が子に対して『よかれ』と思う気持ちから来る行動かもしれない。

『親のさせたいこと』と『子どもがしたいこと』は異なって当たり前。何故なら別人格をそれぞれが有しているから。