どもー!流浪のカウンセラーこと岩井裕子です。
本日のお題は表題の通り『自己愛』と『コンプレックス』と『SNS』です。
●空白の日々
Windows95の頃からネットを始めて四半世紀、結構な頻度でネット上のトラブルを見てきた。
何年も前に一度Facebookのアカウントは作ったものの、元同僚に粘着されてFacebook・Twitter・LINEと全てのアカウントで『お亡くなり』になった。(まぁ現実世界でもお亡くなりになりかけましたが)
性懲りも無く、またSNSを始める(しかも本名で)事が出来たのは、仕事上で警察との繋がりも出来て、対処法を身に付けたから。何も言わずに一度消えた私ではあるが、なんやかんやと昔馴染みと再度繋がりを戻しつつある。
(心配を掛けた皆さん本当にスミマセン)
●TwitterとFacebook
SNSの復活は2年ほど前。Facebookに至っては作りっぱなしで放置。LINEの復活はつい先日。
その間TwitterLandで遊んでました(笑)
久々にFacebookに戻ってきての第一印象は『Twitterに比べると健全じゃね?』でした。文字数の制限もあるのか、Twitterのイメージは『沼』で心の内側のドロドロを直接的に吐き出す人が多い。
毎日のように『死にたい』『消えたい』と言う文字が溢れているが、大半は『死にたくなる程苦しい』『消えたくなるほど辛い』の意味である。
対して、Facebookのイメージは『湖』一見綺麗な湖面である。ただその印象とは裏腹に『湖底』に『沼』以上の澱みを感じさせる人が少なからず存在する。
いかにも『セレブ風』の『似非レブ』が裕福そうな暮らしぶりをアップしているのを見るたびに、ある種のコンプレックスと自己愛を感じる。
『本当はお金に困っているんじゃないか?』とか
『セレブの仲間入りをしたくて仕方のない人』と言う印象。
実際にお金を持っているであろう人の中にも、
持っているお金に合った『品格』がなかったりと様々。
共通点は『お金がなかった事に対するコンプレックス』と『お金持ちに見られたい自己愛』
●滲み出る違和感
さて、なぜそれが判るかと言うと、文章から読み取れる一種の『違和感』が存在するから。
『こうありたい自分』を必死になって演じ、涙ぐましい努力をしているのでしょう。タイヘン( *´д)/(´д`、)ダネ。
それはそれで『生き辛い』だろうなと、感じています。
●必死にSNSビジネスを宣伝する人々
SNSビジネスを否定するつもりはないが、SNSビジネスを執拗に宣伝しているのを見ると『集客に必死やな( ´,_ゝ`)プッ』
『鴨集めに必死やな( *´艸`)クスクス』となる←我ながら性格が悪い(笑)
まず、儲かっている人なら、そんなに必死になる必要がない
金持ちの暮らしは案外質素で、ひけらかす事はしない。←金目当てのハエが集ってくるのが面倒臭いから。
セレブはセレブ同士の付き合いを『ちょっぴり面倒臭い』と感じつつ『やりたいことをやるたむの手段』として割り切っている。
●パタリと止むメッセンジャー
私は今はカウンセリングの傍ら、別の仕事もしている。
お陰様で、この夏に個人事業主から法人化する事となった。
ご多分に漏れず、私の所にもSNSビジネスの方からの『友達リクエスト』がちょいちょい来るのだが『私も在宅ワークから個人事業主へ、お陰様でなんとか法人化の目処がたちました。お互いに頑張りましょうね!』と返信すると、それっきり二度と返信が来ない事がほとんど。
こちらは『起業者同士頑張りましょうね!』と言うつもりはなのだが、彼ら彼女らにはそうは感じられないのかもしれない。つまり『実際に起業する者』は『起業を夢見る者』に比べて『不味い餌』なのでしょう(笑)←食わず嫌いって失礼しちゃう!ヽ(`Д´)ノプンプン
●自己不一致
なりたい自分になる為の努力は尊いし、応援は惜しまない。
ただ、なぜ原寸大の自分以上に『見せ』『魅せ』る必要があるのでしょうか?
カウンセリングに訪れる大半のクライアントは、
現実自我と自己概念が一致していない『自己不一致』の状態で訪れます。
カウンセリングを重ね、現実自我と自己概念が一致してくることで、自分を取り戻していきます。
SNSとは言え、現実自我と自己概念が一致していないのは苦しくないのだろうか?と痛々しくさえ見えます。
もし、苦しさに気付いたら、あなたが一人で抱えている『その重たい荷物(湖底の泥)の断捨離』を誰かに手伝ってもらう事を、是非一度検討して見てください。
●生き辛さでお悩みの方は、是非一度ご相談ください。
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